2009年6月21日 (日)

プロレスの逆説

 今年のGW、関西遠征のお供の一冊が「完本 1976年のアントニオ猪木」(柳澤 健/文春文庫)。猪木がこの年戦った「異常な」4試合と、現在の総合格闘技にまで続くその影響を書いたものだが、この本の中でプロレスは、フェイク、つまりあらかじめシナリオが決まった演劇のようなもの、として扱われている。

 中島らもが書いていたと思うが、TV放送が終わる直前になぜか決着がついてしまうメインイベント(エベント?)だとか、アメリカから来たチャンピオンが、来日初戦で日本人にタイトルを奪われるも、離日直前のマッチで取り返すとか、まあ、考えてみれは怪しさいっぱいである。最近ではWWEやハッスルのように、「演劇」方向に肥大したプロレスも。最近の情報源は100%東スポ、競馬面(とエッチ面?)を読んで時間が余れば読む、という程度の興味なので、詳しくは知りませんけどね・・・。

 そんなプロレスで死者が出てしまう。週中の東スポで、武藤敬司が「バックドロップを受け損なうなんて・・・」と言っていたのが印象的だった。見るからに危険そうな技は、相手が的確に「受ける」ことを前提に成り立っているのだろう。

 上述の本には、なぜプロレスが、リアルファイトを捨てショー化していったのかについても書かれている。要するに、観客から見て「取っ組み合いは退屈」、ということだと。ある種のイリュージョンを現出させるために、事故と隣り合わせの危険を冒す。鍛えられた技術は、見えないところでひっそり使われる。そして、決して相手を傷つける意図はないのに、悲劇が起こってしまう・・・。

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